共闘なのか共存なのか

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どうも!
最近ほんと色んな人に助けてもらってるなあと実感しています。

そしてその後、その縁に感謝し、こちらから与えれるものがあるなら惜しみなく提供したいなと思います。

この流れでこのタイトルの曲を置いておきます笑
他意はなくてメッチャかっこいいです。

んで本題なんですが。
共存と共闘って似て非なるものですよね。

仕事やそこを軸とした人生で考えた時、僕は共闘できる人と進んでいきたいなと最近思ってきてます。

与えて、与えられて、お互いを高め合っていけるのってなんか心臓の裏当たりがゾクゾクしますよね笑
こいつと仕事してると超楽しい!って人。何人かいます。
そして運がいいんでしょう。そんな人達とちゃんと仕事させて貰ってます。
あとはそこに自分が何を還元できるか。

インプットしたらアウトプットするのは当たり前。
自分の為にやってる事が結果的に相手のためになってた!
なんて事はごく稀で、残り少ない人生はしっかり考えて生きていきます。

ちなみに僕は自分の寿命を63歳に設定してます。
理由は父方の祖父が65歳、父親が64歳で亡くなったので。

何か実は重い病気を持ってるとか、病んでて自分で幕を下ろすつもり。
なんて事は全くなくて。
むしろぶっちゃけそれより遥かに長生きできる気満々です。可能性しか感じません笑

一度自分の人生の一区切り時間を設定しておいてそこまで駆け抜けたいなと。

父も祖父も尊敬してます。なのでそこを超えたらあとはラッキー。ボーナスステージに自分でしてあげようと思ってます。

残りの人生楽しみだなあ。

ところで共存する相手はいないのかというと、そんな事はなくて。
あえて言葉にするなら競わざるを得ない相手や会社、職種ですね。

事業主として三年働いてみて感じたことはまあ皆ライバル会社然り、ちょっとでも気に入らない人への文句が多い!笑
いやまあ文句はいいよ。人間だもの みつお

でも足の引っ張り合いや嫌がらせとかを見てしまうとゲンナリします。
みんな人生短いんだから楽しく生きましょう。

勿論危機感とかはありますよ?
例えば電子ピアノ。
調律師をやってると、ついてまわる電子ピアノ問題。

とはいえ電子ピアノはピアノに勝てないでしょう。
だから調律師は安泰じゃない?

と考えるのは早計です。孔明の罠だ![この前新解釈三国志の映画見たんです面白かった]

人類の技術の進歩は凄いです。
ここからピアノを越してくることは充分あり得るし。
そもそも同じ土台じゃなく違うアプローチから主導権を握るかもしれない。

そうなった時共存できるだけの知識と人脈と技術は持っていたいです。
ではまた!

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